覚書

 周囲にはなにも無い。真っ暗闇の中でただその場で私は直立している。無機質な電子音が空間を震わせ、何度も何度も同じ音が一定のリズムでユックリと刻んでいる。

 両手両足は重いが右の手のひらと甲だけは温かかった。その正体が分からず違和感を感じながら握るように指を折り曲げてみる。

 何かを掴んでいる感覚だ。それは暖かくて“ヒトの手”と思えるものだ。

「誰かいるの?」

 問いかけるが返事は無い。自分の声以外は高音域の電子音だけが残される。

 音は少しずつ少しずつユックリとなる。止まりかけそうなほどの間隔が広くなったとき、今度は警告音と思わせるサイレンが鳴り始める。

 体が急激に冷たくなっていく。悪寒がする。右手だけが異様に温かいのは変わらない。怖くて怖くて己を抱く。

「凪!」

 たった一言。私の名を呼ぶ声。

 何故だか「戻らなきゃ」と思った。